僕は電車に乗るのが好きだ。
乗車した車両が現在で、後部の車両が過去。 もちろん進行方向は未来だ。
そんな命題として普遍的な題材を実感できる。
決まったレールの上を起点から終点の同じ距離を走るという決まり ごとの上で同じ景色は二度とない。
現代美術の企画をしていた頃、 2011年に中島麦と武内健二郎というニ人の現代美術家にコラボ レーションをお願いしたことがある。
中島麦は近年関西で最も活躍する抽象画家の一人で、
言葉にはならないが展示はまさに距離や時間を超えて且つ説明的に
ある種この展示によって僕は企画をするということに満足してしま
その後も2.3年様々な企画に参加しているが、 彼ら二人を超えるものはなかった。
僕は自分自身の創作活動で二人が観させてくれた到達点に向かうこ とにし、企画をやめた。
自身の活動を続けていく中で音楽家たちと時間を共にすることが増 えてきた。
それはブルースとサマーオブラブに呪われて一生を費やした父の元 に育った僕にとってはごく自然な成り行きだ。
父ら世代の音楽家がエレキギターや電子楽器を手にしたように、
中島麦と武内健二郎の展示では、旅で過ぎ去った時間、 風景と結果における表現で完成形を観た。
中村光貴のDJでは、というとそれは電車そのものだ。 DJが表現する最中に出会うものや過ぎ去るものには自分自身が勝 手に向合うのだ。
ふと今は僕があの時の電車の旅にあるんだと思う瞬間がある。
服田雄介