2017.06.30 ECMN







「ポタワトミー族はあまりにもまともすぎたのだ。だから汚れた河以外なにも残さなかった。私たちは、ここを去るとき、想い出に、おそらく一個の錆びた鉄の心臓を残すことになるだろう。シカゴという錆びた心臓はがっちりペテン師とまとも人間をつかむ。両方いっぺんににぎりしめている。想い出として、未来永劫に。」

DEPTHのRHY-Sを核として200×年から1x年間、行ってきた試みECMN。ダンスミュージックを志すDJやトラックメイカーがダンスを目的としない (コンテンポラリーダンスミュージックを除く) 記録をクラブだけが持つ、あの闇の中で再生したいという単純な動機で始まったのがこのイベント。数々の企画を経て、この動機は更新されていく。

今では上映される映像に合わせて、ターンテーブル二台と映像からの音声をミキサーでコラージュ、架空のサウンドトラックを即興で作るという主旨となる。実行委員はこのイベントは音屋が閉まった原因の一つとして自負しており、ストンプに場所を移すも休止中だった。

2017年、音楽が形容詞としてのCONCRETE、映像が名詞としてのCONCRETEというテーマの元 mole musicで行われていた服田雄介「破壊派抽象表現説明的展開」のコンセプトに合わせて再び活動を再会。演者は黙ってその映像の衝撃に身を委ねることなく、沈黙を埋め合わせるかのように、細かなカットやシーケンスを捕らえてコラージュを続けることで、個人史と歴史の間を往き来する。

音楽がなぜ未だに再生装置として物(イメージ)を求めるのか。その答えはここには決して無いが、一つの挑発となることを願う。なぜならこのイベントは常に現実としての映像と対話することにより、レコードという記録、そして演者の記憶が再生されるのだから。

「つまるところ映像はあらんとする現実をあらしめることに血筋をあげればいいのである」

では音楽は... 


実行委員会の根城であるNOONでの開催を承諾していただいた方々への感謝を胸に、実行委員一同、屈託の無い笑顔でご来場お待ちしております。

(ECMN実行委員会)

参考文献 

「映画は全てドキュメンタリーである」中平卓馬

「シカゴ、シカゴ」
ネルソン・オルグレン