2019.02.25 ~ 2019.02.26 short hope Koichiro Kojima




構図を作る意味はなく、その不鮮明な像は記録物としての意味も限りなく0に近いかもしれない、が、記録であることに変わりはない。撮影者の意図をことごとく無意味化して残った写真は、それでも写真である。

わざわざ期限切れのフィルムを使う理由はそこにある。
特にポラロイドは写す前に、どこに乳剤が残っているか分からないので、フレーミングしたどこの部分が残るのか不明である。
フレーミングという、現実から部分を切り取る断絶は写真の根幹を成す事柄である。
大枠のフレーミングは確かに私が決定したことであるが、そのフレーミングの中で、偶然の力でもう一度フレーミングが行われることを積極的に肯定しているのが本作である。
フィルムという物質が過ごした時間を風景に焼き付け、そのことによって、また、フレーミングが成される。

中平卓馬の特に晩年の撮影行為に見られる独特のフレーミング(一度横に構え構図を決定し、それを縦にし、最後にちょっと斜めにしてから撮影する)は強烈な意思によるたゆまぬ自己否定、破壊、と再生の行為である。
写真はメモリーでもなく、クリエイションでもなくドキュメントだ!
と叫んだ彼の作品は、そのドキュメントすら超越し、写真史の極北に輝き続けている。

もう一つ、Found Photos in Detroitという一冊の写真集がある。
それを初めて見たのが、ここmole musicだ。
イタリアのCESURAという写真家集団に属する二人によって編まれたこの写真集は、平たく言うと、デトロイトの荒廃した建物や、路上で拾われた写真によって構成されている。
この作者不詳、詠み人知らずの写真達を見た時の衝撃は言葉に尽くせず、忘れ難い。
誰が撮ったかも分からない、打ち捨てられ、ボロボロになった写真が放つメッセージは正に写真の原質を示していた。
過去の光がいま、ここに現前し続けていることの凄みを、身をもって体感し得た出来事だった。
そしてこの詠み人知らずの写真達は私をいつも鋭く突き刺す。
「では、写真にとって作者とはなんであるのか?」と。

中平卓馬とFound Photos in Detroit
この二つの極点が指し示すところの写真を見てみたくて私は写真行為を続けている。

Koichiro Kojima

Exhibition "short hope"
@ mole music 跡地
大阪府大阪市中央区上町1-25-22上二ハイツ1F